素砂の四方30里の地は宮殿が建てられる地です

三神がまさに三位一體の神樣ですね.三位一體の神が人の體をまとって老姑山と蘇萊山の間の密室で鍊鍛を受けて出て來てこそ本物ですね.卽ち,老姑山と蘇萊山の間の密室で鍊鍛を受けて出てこそ本物で,ここで鍊鍛を受けずに出る人は全て僞者達ですね.格菴遺錄の塞41章に「 人生秋收 糟米端風驅飛 糟飄風之人」と書かかれている.

永遠に生きる人びとだけが住む宮殿なので,腐らないダイヤモンドで宮殿を建てる.

實際は,500年前に南師古先生が豫言した格菴遺錄という豫言書に,この素砂の地に宮殿が立つと記錄されている.ところが,その宮殿には罪のない入だけが入ることが出來るが,罪ある人は入ることが出來ないと書かれている.ところで,どうしてここにダイヤモンドで宮殿を建てるのか.ダイヤモンドが高いからダイヤモンドで建てるのか.そうではないのです.

ダイヤモンドという物質はさびもつかず,腐ることもない物質です.だから,ダイヤモンドで建てるのです.永遠に生きる人びとだけが住む宮殿なので,100年經って崩れる宮殿なら永遠に生きる人達は住むことが出來ないでしょう.事實,この地球上にはダイヤモンドで家を建てている國はどこにもないのです.ダイヤモンドがたくさん出るアフリカでも,ダイヤモンドで家を建てる所はないのです.

しかし,韓國の富川素砂の地にダイヤモンドで四方三十里に家を建てると預言されている.その宮殿には罪のない人だけが入り,罪ある人は入る事が出來ないと記されている.だから皆さんが罪さえ犯さなければ,間違い無く永遠に生きる天國,エデンの園の宮殿に入るようになっているでしょう.皆は必ず入るだろうか,偶然に入るだろうか.

必ず入るという確信がありますか?確信がある音聲ではないが...間違いないでしょう.皆さんが確信を持てば間違いなく成就します.今, ここに立っている私がその宮殿の主人公です.今後,建てられる宮殿ではあるが,ダイヤモンドで建てるその宮殿の主人とは卽ち,救い主です.救い主がいる所が天國であって救い主がいない所は天國ではない.だから,六千年間の人類が待ちわびていたその天國がこの素砂に建てられるのです.

罪がない人だけ入る宮殿に勝利祭壇の人達の大部分が入ることが出來る

そこで,全世界の萬民がその宮殿に入ろうと押しかけて來るでしょう.しかし,殆どの人がその資格者から落ちて入ることが出來ないのです.どうして? 罪があるから.罪人は入ることが出來ないのです.罪がない人だけ入るが,勝利祭壇に通う人達の大部分が入ることが出來るのが何故かと言えば,皆さんはその天國,エデンの園にきっと入る爲に年中行事の時に私が赦免狀を下すでしょう.

その赦免狀はやたらに下るすことではないのです.その赦免狀を下るせば塵ほどの罪も無むなるのです.罪がなくなるから義人になるのです.義人になったということは神樣になったということです.だから,私は神樣を作るために來たので,まず,我われの勝利祭壇の家族達を神に作るのです.

疑う人は出來ないのです.それが本當に成就されるだろうかと半信半疑する人.私のような罪人が神樣になることなど出來るだろうかと半信半疑の人を除いて全てが神樣になるのです.皆さん,希望を持って下さい.皆さん希望を待ちなさい.永遠に永生するということが信じられる時は,皆さんが永生する姿に自分が變化した時です.

人というのは全て魔鬼のしもべなので,そのように永生の確信を持つことが出來ないのです.私がどうして勝利者になったか分かりますか?私は間違いなく永生するという100%の確信を持ちながら生活した爲に勝利者になったのです.卽ち,永生の確信がなかったら救い主になることは出來ず,勝利者になることも出來ないのです.

永生の確信だけあれば間違いなく神樣になるのです.

皆さん,この道は心で步む道だと言ったでしょう? だから,心で成し遂げられるので,私は永生の確信を持って永生の道を步んだので,とうとう終着驛である永生の高地を占べあのです.だから,勝利者になって私の體から露が出るのです.永生體でなければ,露は出ないのです.だから,永生體の救い主が勝利祭壇の義人達を育ででいるのです.永生體を育ででいるのです.

この祭壇に出ている方達が,まさに永生を得るようになっている.神樣のみむねが成就される場所を500年前に預言した格菴遺錄の甲乙論に書かれている.私が六十一歲の時にこの建物を建てて,この建物の上に虹が立つということも甲乙論に書かれている.

1991年, 六十一歲の時にこの建物の落成式を行なったのです.この年, 祭壇の上に虹が立った日は,コルバチョフが釋放された意味ある日で,私が共産主義を無くしたという確な證據になるでしょう そして,皆さん,三位一體の神樣が私の身體をまとってこの世の中に來られたと言ったでしょう.間違いなく三位一體の神樣でしょう.とこで,格菴遺錄に老姑山と蘇萊山の間で三神がはたらくと記されている.

三神がまさに三位一體の神樣ですね.三位一體の神が人の體をまとって老姑山と蘇萊山の間の密室で鍊鍛を受けて出て來てこそ本物ですね.卽ち,老姑山と蘇萊山の間の密室で鍊鍛を受けて出てこそ本物で,ここで鍊鍛を受けずに出る人は全て僞者達ですね.格菴遺錄の塞41章に「 人生秋收 糟米端風驅飛 糟飄風之人」と書かかれている.

「 糟米端風驅飛 糟飄風之人 弓乙十勝 」ということでしょう.十勝というのは十が神樣を意味するといったでしょう.だから,弓乙十勝というのは正道令, 神樣がお勝ちになった勝利者だという意味です.糟米端風驅飛は糟の字から米扁の米を風に吹き飛ばすという意味です.米扁の米を風に吹き飛ばせば殘りは何の字ですか.殘りは曹の字になる.だから,曺氏がまさに正道令, 神樣, 勝利者ということです.

だから,利見機打破滅魔という言葉があるが,これは眺める瞬間,魔鬼を撲滅掃蕩するということです.私が眺める瞬間,魔鬼,すべて死ぬのです.「 人生秋收 糟米端風驅飛 糟飄風之人 弓乙十勝 」という言葉は人生を秋收しに來る人がいるということで,人を全て秋收しに來るでしょう.

秋收して,「しいな」,卽ち,皮だけの を飛ばして火に燒いてしまい,實は集めて倉庫に置くという仕事をするのが人生を秋收する人ですね.だから,人の中に精穀があって人の中に「しいな」がある.「しいな」はこの祭壇に出ながら,やがて出ないようになる.「しいな」は風に飛ばされて行くようになっている.*

飜譯:尹金玉 勝師
藤田多惠子 勝師 監修