自分の對象者に愛で勝ってこそ

盡力して,努力することがあってこそ變化が現れる事であって, 盡力して努力することがなければ變化が起こらないのである.心を碎いて躍起になってこそ成し遂げられるのである.生活の中で,家庭で勝たなければならない.家庭で自分に勝ち續けて, 家族達が心から尊敬するほどに律法を完全に守る生活を續ける時にようやく勝利者になる.

「お主, 神樣, 深く知るこの驚くべき恩惠, 天國の樂しみが每日新しい」この贊美歌を, いつも歌って, また歌い,また歌っても私にはその贊美歌が一瞬一瞬新しかったのである.だから,贊美歌を夜通し歌っても一時間も歌ってはいなかった感じであった.贊美歌を歌い終わってみればもう夜明けになり,贊美歌をまた歌い終えてみれば日が旣に暮れていた.

いつ日が暮れるか,いつ夜が明けるかが分からないほど,いつも喜びと樂しさの中で暮らすのである.誰も知らないこのような喜びの中で,喜びの思いに浸って暮らしたので,瞬く間に1年,10年,50年が過ぎた.これは, 神樣の恩惠,神樣の聖靈を受け取った者でなければこの喜びを語る事が出來ない.

◇ 話の中には意味があるが,その音聲の中にさらに大きな意味がある

犬は犬の考えで犬の聲を出し,牛は牛の考えで牛の聲を出す.だから,犬に幾ら良い說敎をしても, 犬は犬式で聞く.自分の主體靈,卽ち,犬のような主體靈を捨てなければ神樣のお話を聞き分けることが出來ない.この眞理を理解することが出來ないのである.

だから自分の主體靈が神樣の靈であるか,魔鬼の靈であるかによって聞く段階が違い, 聞く方法が違い,また,その考えが違うのである.だから,完全に委ねなさいと言うのである.神樣に完全に委ねると,神樣がその魔鬼の靈である自分の主體靈を殺して,神樣の靈を注いで下さるのである.その後にもお話を聞けば,そのお話があまりに言妙で, 自分自身も知らずに感嘆する.

そのお話に意味があるのではなく,音聲の中に意味があるのである.神樣の靈を受けた者は,音聲の中でもう深い意味に氣づくのである,だから,魔鬼の靈を持っているものは如何に聞いて見ようとしても聞くことが出來ない.だから,完全に委ねようと心を碎いて躍起にならなければならないのである.ところで,神樣に委ねることを自分で委ねてはいけません.

「わたし」という靈が魔鬼の靈であるから,自分が委ねようとすることは, 魔鬼が委ねようとする事になるのでいけない.わたしも初めは自分が委ねようと心を碎いて躍起になったが成就しなかった.だから最後には「神樣が委ねて下さい.神樣が泣き叫ぶお祈りにして下さるようお願いします.そして,私が祈るのではなく,私が望むのではなく,神樣が祈って下さい.神樣が泣き叫んで下さい.神樣が完全に委ねて下さい」と祈ったのである.

このように泣き叫んで訴えるにもその段階がある.1段階に訴える段階があって,2段階,3段階の段階があって,續けて4段階,‥‥‥9段階,10段階の訴える段階がある.

だから,その訴える段階によって訴える主體靈が變わるのである.このような靈の段階が分からない者,靈の分別が出來ないものは,いくら努めてみてもだめである.

盡力して,努力することがあってこそ變化が現れる事であって, 盡力して努力することがなければ變化が起こらないのである.心を碎いて躍起になってこそ成し遂げられるのである.生活の中で,家庭で勝たなければならない.家庭で自分に勝ち續けて, 家族達が心から尊敬するほどに律法を完全に守る生活を續ける時にようやく勝利者になる.

今,皆さんが確かに知るべきことは, 皆さんの對象者がまさに皆さんの夫やら夫人であるというのです.皆さんは皆さんの對象者に勝たなければならない.家庭に對象者がいて職場にも對象者がいる.職場に行けばなんとなく嫌な人がいるが,彼が卽ち對象者なのである.

その對象者に勝たなければならないが,拳で戰って勝つことではなく,愛で勝たなければならない.眞心からその人を愛し, その人が夕飯を買えと言えば買ってあげ,晝飯を買えと言えば晝飯を買ってあげながら. 下男のその又下男の役目をしなければならない.そのようにすれば, まさにその人に勝つようになって勝利者になるのである.その對象者が皆さんを心から尊敬することが出來るようになってこそ勝利者になるのである.

◇ 私を憎む相手を眞心から尊敬することが勝つ秘訣

對象者は多くはない.自分の周圍に一人か,二人が居るのである.だから,その對象者を探して勝たなければならない.妬んで嫉妬していた人が眞心から皆さんを尊敬して好きになった時に勝ったことになる.勝ったなげればならない.皆さんが實際に家庭で勝ち,社會で勝ち,又, 祭壇に出ても勝たなければならない.祭壇にも對象者はたくさん居ることである.

どうしてそうなるのか,見ただけで食欲が無くなるほど憎い人がいる.このような不滿な考えは「私」という意識の魔鬼がなす業である.だから,憎い相手を心から尊敬して心から愛すれば「私」という意識の魔鬼は死ぬのである.これが,まさに恩惠を守る秘訣であり,「私」という意識の魔鬼を殺す秘訣なのである.對象者は遠いところに居るのではなく,近い所にいる.

だから,一番近い人,その人が卽ち對象者なのである.その對象者に勝つとき,彼と完全に友達になったとき, 私ではなければだめだというほどになった時が勝ったことになる.皆さんが言葉だけで“信じます”“自由律法を守ります”というのはむだである.對象者があちら,こちらにいる事はまさに自身の中の魔鬼の爲であり,自分の中に魔鬼がなければ仇はいない.憎い人が居なくて全ての人が好きになるのである.自分の中に魔鬼がいて,その魔鬼が相手の中に入って私を苦しめるのである.

「あいつは何時も私を嫌がる」とか,「あいつは何時も私の缺點をあげて言う」と目でにらみ付けると,それからは更に大きな魔鬼が自分を苦しめて困難にさせようと振舞うのである.このような魔鬼に勝つ秘訣は勝利者だけが知っている.勝った者ではなければ勝つ秘訣は分からない.

では, 勝利者はどのように勝って來たか.口を閉じて耐え拔く事だけをしたのか.そうではなく,愛で對象者に勝ったのである.對象者と一緖にはたらく時, 對象者に力が要る時には力になってあげ,又, 對象者がしなければならない仕事を代わりに骨を折ってはたらいてあげたりした.愛に死なない魔鬼はないのである.

◇ 勝利者の靈は常に謙遜で犧牲的な靈である

永遠無窮に榮光を享受しながら生きるものは”わたし”という意識ではなく,まさに犧牲の靈,良心の靈,神樣の靈なのである.良心の靈が共にしてこそ永遠無窮に生きることが出來るし,自分しか知らない利己的な靈は永生することが出來ない.これは魔鬼の靈であるからである.

譽められることを望む靈,榮光を受ける事を望む靈,自分の利益しか知らない靈,このような靈は滅亡の靈である魔鬼の靈なので永生を受けることが出來ない.だから,神樣のために何時も犧牲的に, 又, 奉仕的に暮らす人が永生を得るのである.

今日,神樣の爲に何をするか,今日は何を以て神樣にその恩返しをするかという考えでぎっしり滿ち溢れている人は,自身も分からないうちに神樣の爲の行動をとるようになる.また兄弟が誤って永生の道から遠くなろうとする時, 密かに力を與えて神樣の前に傾くように手傳ってあげるのである.このように神樣に向かった忠誠心が滿ちているので,自ずからそのように動くのである.*

飜譯:尹金玉 勝師
藤田多惠子 勝師 監修

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